設立趣意書

日本の社会と子どもの生存・発達の「危機」のなかで


この四半世紀、日本の社会では、競争と自己責任を強調する「新自由主義」の諸施策が推進されてきました。その下で、産業構造の奇形化、雇用の不安定化、福祉・医療・文化・教育の商品化、格差と貧困の新たな拡大、生活圏としての地域の崩壊、日常の人間関係の分断と敵対化などの状況が極端なまでに進行してきました。人々の間には、「生きづらい社会になっている」という実感が広がっています。

こうした状況のなかで、少なからぬ子ども・若者たちが、生育に必要な条件を十分に補償されず、家族関係や友だち関係の緊張にさらされ、学ぶことに意味を見出せず、将来の人生に不安を感じています。心身に不安定を覚え、自分や他人に攻撃的になり、「傷」を負ったり「病い」に陥ったりする子ども・若者たちの姿も目立つようになっています。

社会の表面では、子どもたちの状態を、「学力低下」「コミュニケーション能力の未発達」「規範意識の喪失」「生きる力の衰弱」などと断定し、「厳しい競争的環境におく」「強い力で規範を守らせる」「基礎的な知識は刻み込んででも教える」といった教育論・子育て論が、声高に叫ばれるようになっています。そして、こうした風潮が、さらに子どもたちを追い詰めているように見えます。

今、日本の社会には、「社会崩壊」とでも言うべき状況と、子どもたちの生存・発達をめぐる新しい「危機」的状況が広がっていると言わざるを得ません。

子ども理解を深め、子どもを支える新しい共同関係を探る


しかし同時に、今日の日本の社会では、さまざまな人々が、自らの生活の質を問い直しながら、困難に直面し不安定になっている子どもたちと共に生き、彼らの生活感情とその表現を受けとめ、そこに含まれている生き方への問いを共に考え、彼らの生存・発達を支えようとする、援助的・教育的実践を展開しています。そして、そのための共同関係を創る模索を粘り強く重ねてもいます。

各地域での、「不登校」や「非行」の子どもを抱える親たちの支えあいの動き、「障害」のある子どもやその家族に寄り添い支援する人々の努力、学習につまずいた子どもに学ぶ喜びを体験させたいと考える教師たちの動き、「ひきこもり」の若者たちの居場所を作り社会への参加を支える人々の試み…。たとえばこれらの動きを想い起してみただけでも、それは確かな事実であるように思われます。

子どもの生存・発達の危機的事態を直視するとともに、子どもたちへの理解を深め、彼らの生存・発達を支えようとする人々の多様な試みに関心を向け、より広く深い共同の可能性を探求することが重要な実践的課題になっています。それは、また、今日の日本の学問と思想の重要な課題なのではないでしょうか。

発達援助専門職・教育職の専門性を問い直す


今日の日本の社会には、福祉や医療や心理臨床や文化や教育などの諸領域で、子どもたちへの理解を深め彼らの生存・発達を支えようとする人々の動きに関わって、大切な働きをしている専門職の人々がいます。

これらの発達援助専門職の人々の間では、今、自らの専門性を、各領域に閉じこもっているだけではなく、子どもを、その家族や地域住民と共に、また他領域の専門家と協働して支えることのできる、開かれた専門性に発展させる必要が共通に自覚されてきています。こうした発達援助専門職の人々の専門性の問い直しの動きに注目し、その意味を考えることも、今日の重要な課題です。

現代の発達援助専門職の一翼を占める教師たちの間でも、不安定な姿を示す子どもたちの表現を受けとめ、彼らの生育史と内面の感情・思考についての理解を深めることが、重要な課題として意識され始めています。そして、それと結びつけて、子ども自身が、生活の中で直面する切実な問題から出発し、世界と自分についての理解を深めながら成長していけるような、学習指導を創りだそうとする試みも始まっています。

それは、単なる教える人(teacher)にとどまらず、子どもの生存・発達・学習の要求の代弁者(advocator)、子どもの人間としての全体的な育ちを親・住民や他領域の援助者たちと共同で支えていく教育者(educator)であろうとする、教師たち自身による教師像の模索でもあるように見えます。こうした教師たち自身の模索の試みに即しながら、教師の専門性を問い直し、教師の養成・教育・研修の改革の方向を考えることも、時代の焦点的な課題として浮上してきています。

臨床教育学の構想と臨床という言葉の意味


臨床教育学の開拓の試みは、ここ二〇年ほどの間、日本の教育学の世界で多様に積み重ねられてきました。しかし、臨床教育学という言葉には、まだ、確定した定義があるわけではありません。私たちは、現在のところ、以上に述べたような状況認識と課題意識を踏まえ、臨床教育学を、次の三つの側面を持った、総合的な人間発達援助学であると考えています。

①子ども・若者やおとな・老人の生活についての理解を深め、人々の生存と発達を支えるための、総合的な人間理解・子ども理解と発達援助の学問。

②福祉・医療・心理臨床・文化・教育などの諸分野で働く発達援助専門職の専門性の問い直しとその養成・教育の学問。

③とくに、教師の専門性の問い直しとその養成・教育・研修の改革のための学問。

なお、臨床教育学の臨床という言葉については、「病い」に陥った子ども・人々を意識するものであることはもちろんですが、それだけでなく、今日の社会を生きる一人ひとりの子ども・人々の具体的で個別的な生活史に即し、その生活感情の表現・語りを受けとめつつ、援助や教育のありかたを検討しようとする実践的方法意識を示すものとして使い、深めあっていきたいと考えています。

研究の方法と概念の学際的な検討の必要性


そして、それにふさわしい研究方法については、子どもたちの声の聴きとりと記録、一人ひとりの子どもの生活と生活史の事例的・カンファレンス的検討、援助者・教育者の生活史・実践史の吟味など多様な試みを実際に積み重ねていきたいと思います。それを通して、研究方法論の理論的な検討を継続的に深めていく必要があると考えています。

さらに、一人ひとりの子どもの生存・発達を支える様々な実践の共通性と独自性を検討しながら、ケア、保護、援助、支援、相談、治療、教育などの基本的概念を吟味し、それらの共通性と独自性を明確にしていくという理論的作業にもとりくんでいきたいと考えます。

子どもたちについての理解を深め、彼らの生存・発達を支えようとする過程は、そうしようとする人々や専門家たちが自らの生活の質と専門性の質を問い直していく過程であり、そのための思索と学習・研究の生涯にわたる継続の過程でもあります。私たちがこの総合的な人間発達援助学を臨床教育学と呼ぼうとするのは、教育学というものを、根本的な意味で、子どもを理解しその生存・発達を支える実践のための学問であると同時に、それに関与する人々の生涯にわたる自己教育のための学問であると考えるからです。

日本臨床教育学会の設立を


子ども理解・人間理解と人々の生存・発達の援助についての実践・研究の発展・深化の道は、その時代を生きる一人ひとりの子どもや人々の具体的な生活と声から出発する以外にありません。

また、福祉・医療・心理臨床・文化・教育などの諸分野の発達援助専門職の人々の間に蓄積されている経験と知恵を、交流し、吟味し、共有する地道な努力を強める以外にありません。

そして、子ども理解・人間理解と生存・発達の援助に関わる実践者と研究者の、対等な交流と共同の思索・研究の関係と機会を、具体的に創り出す以外にありません。

さらに、重なる問題意識のもとに展開されている諸外国の人々の実践・研究との交流と、そこに芽生えている概念や方法の主体的な摂取を重ねる以外にありません。

私たちは、これらの必要を痛感し、そのための持続的な交流と共同研究の場として、新しい性格を帯びた領域横断的な学会である日本臨床教育学会の設立を呼びかけます。問題関心と課題意識を共有される方々のご参加を心からお願いいたします。


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